「廃屋にっぽん周遊」公開まで

作者、Break58が廃墟サイト「廃屋にっぽん周遊」を公開するまでの歴史を
助手のHAKUTAKA他から聞いた伝聞調でお伝えします。

Break58(ぶれいく58)

1975年石川県金沢市生まれ。
県内の大学を卒業後、県内の会社に就職。金沢市在住。

当初の趣味
 趣味は旅行。学生時代は専ら鉄道や長距離バスを使った旅を繰り返す。もともとは飛行機嫌いで学生時代の旅行では一度も飛行機を利用したことはない。1995年に初めて北海道を訪れているが、このときも助手HAKUTAKAの勧めで鉄道を利用している(帰路はわざわざ秋田県で一泊している)。 1996年に四国、1997年に九州を訪れている。本土のほぼ全都道府県を訪れているが、沖縄県は未だ訪れていない。 社会人になってマイカーを持つが、車を運転することがあまり好きではなかったために、社会人と なってからの旅行もあまりマイカーを使っていない。しかし最近では、近場で日帰りの小旅行では マイカーを利用することが多くなってきた。長期の旅行でも日程短縮のためにしばしば飛行機を利用している。

廃墟探索に目覚める
 廃墟趣味に目覚めた時期ははっきりしていない。幼少時から、電車やバスなど乗り物好きだったた め、空き地に遺棄された鉄道、バス車両を見て興奮していたという。そのはしりは石川県鶴来町( 現白山市)旧国道157号線沿いに遺棄してある地元バス会社の乗合バス車両だと思われる(2006年現 在も草に埋もれながら残っているようです。ダイゾウさん運営の「北陸廃物紀行 草むらのヒーロ ー」で見ることが出来ます)。近所にそのような廃車両があれば、毎日遊び場にして訪れていたと 思われるが、現住所の近くにはそんな廃車両はおろか、廃墟もなかった。中学生くらいになってか ら、自転車で行ける範囲でそういう廃車両を見て歩くことを始めている。そして恐らく最古の廃車 両の写真となるのが廃車両篇のマイクロバス1である。買ってもらったばかりのコンパクトカメラ を片手に、両親にばれないように早朝に撮影したものである。趣味の範囲を廃屋、廃墟まで広げた のは高校生以降で、家族で日帰り旅行したときに食事中を抜け出して撮った写真が岐阜県神岡の廃 ビルである。当時のぶれいく58には相当インパクトが強かったみたいで、なんとしても写真に収め たかったという。それでもさすがに潜入までは考えなかったようだ。現在では解体され内部を見れ なかったことを悔やんでいるという。

廃屋にっぽん周遊を公開
 大学生になると、旅先で見つけた廃墟や廃車両を写真に撮るようになった。とはいっても、旅先で 偶然見つけたモノをスナップする程度で、廃墟探索のために旅に出るのは資金的な問題で断念している。旅先で見つけた物件に初めて潜入したのは、意外にも北海道で発見した廃屋である。このとき、最 初は中まで入るつもりはまったくなかったものの、周囲に人気がなく、玄関が開放状態だったため に欲求を抑えきれなくなって潜入したらしい。このときは相当動揺していたようで、外観の写真を 撮ることを忘れている。ぶれいく58の学生生活は、県内の大学で自宅通いのために生活自体は不自 由しなかったが、アルバイトをする時間がなかなか取れずに金策にはかなり苦労したという。アルバイトの月収は少ないときは1万円前後、多くても3,4万円で、夏休みなど長期休みになると旅行の資金に充てられるために廃墟の探索まで資金が流れなかった。そんな中、初めて廃墟の探索の ために旅に出たのは岐阜県奥飛騨の廃旅館である。本文には探索に至るまでの詳細が記載してある のでどうぞ。お隣の県とはいえ、一度高山本線高山駅まで行き、そこから路線バスで最寄のバス停 まで、さらに徒歩数十分というきわめて悪いアクセス条件のため、探索にはまる一日かかったよう だ。ここでも慣れない潜入探索にかなり緊張していたようで、やはり外観の写真を撮るのを忘れて いる。こちらも後に解体されたので、本人は相当悔やんでいるようだ。大学時代の終わりごろ、助 手HAKUTAKAの援助を受けてこれまで撮りためた写真を面白半分に公開することを決意。このときぶ れいく58は、物件数が数件しかなかったため、せいぜい更新できる期間は1,2ヶ月くらいで、あ とは放置するしかないと思っていたらしい。しかし公開したばかりの廃屋にっぽん周遊になんと相 互リンクの依頼が来る。いずれも老舗廃墟サイトからで、ぶれいく58は感激して快諾している。

「廃屋にっぽん周遊」黄金時代
 社会人になって、金銭的余裕ができた代償に今度は探索のための時間を割くことができなくなる。 しかしマイカーを手に入れたため、勤務が終わってから急いで下見済みの物件を探索したこともあ る(金津のラブホテル、美川のサウナ)。このころから、注目され始めたサイト維持のため、物件 数を確保するために必死になっていたようだ。時は1999年から2000年になるころである。このころ は盛んに相互リンクの依頼が来て、ぶれいく58自身もいくつかの廃墟サイトに相互リンクのお願い をしている。そんな中、廃墟界の重鎮、栗原氏がついに「廃墟Explorer」を開設。相互リンクを結 ぶ。2000年以降は、物件数確保のためにマイカーを使って県内、両隣県の廃墟を片っ端から探索し て予告として公開したため、当初は全国版をうたっていた内容が急激に地元北陸地方に偏向する。 リンク先でも北陸最大級!などと紹介され、当の本人は少し戸惑ったという。

廃墟ブーム到来!遠征探索が本格化
 「廃墟Explorer」が公開された頃から、廃墟ブームが過熱、老舗廃墟サイトに刺激されて新しいサ イトが次々と公開される。オフ会も盛んに行われていたようだが、ぶれいく58はそうした外部との接触を嫌って単独の探索を続ける。そんな中、かねてから熱望していた廃墟「小曲園」への遠征が 実現できたが、内部探索は実現できなかった。失意のまま帰郷するぶれいく58だが、過去に探索に 成功した先輩たちから探索のヒントを得て作戦を練り、次回探索に備える。そして翌年ふたたび「小曲園」の探索に挑戦するがまたも失敗。ここで単独で廃墟を探索することに限界を感じ、外部と の接触を考え直したという。その頃地元の有力物件「白雲楼ホテル」の探索に成功した読者から投 稿が寄せられ、探索を決意する。外観だけでもインパクト充分な物件だったため、深入りは考えていなかったが、あっさり内部探索が成功する。その後のサイトへの公開で栗原氏はかなり刺激を受 けたそうで、この物件のためにわざわざ北陸を訪れている。

合同探索を開始
 この後のぶれいく58の活動で大きな転機となったのは、地元の同じ廃墟趣味である人との出会いで ある。かつて投稿物件をきっかけで自サイトを公開するに至った石川県出身のぴぴ氏(「温故知新 」を運営している)がいたが、地元石川県の有力物件を多数投稿してくれていた石川県在住のダイ ゾウ氏(「北陸廃物紀行」を運営中)がぶれいく58との合同探索を提案、ぶれいく58もこれを快諾 して再び「白雲楼ホテル」の探索を決行、両者の協力で前回よりもかなり広範囲の箇所を探索する ことに成功した。この成功で両者の活動は活発化し、かつての投稿物件を含めた地元の廃墟物件を 次々と探索、その中には「和○園ホテル」など大規模な物件も多数含まれている。その頃廃墟探索 の全国制覇を目指し、急速に活動範囲を広げてきた廃墟、心霊界の大御所、黒魔氏(「廃墟伝説 」を運営中)が北陸地方の廃墟物件を求めて訪問することがわかり、合同探索を計画。ダイゾウ氏 も交えて石川県加賀地方の有名物件を共に探索する。こうして外部との接触を急速に深め、その結 果活動範囲も広がり、サイトの内容もさらに充実した。次にぶれいく58とダイゾウ氏が目指したの は、ぶれいく58が過去に二度探索に挑んで失敗に終わっていた「小曲園」。このころから小曲園の取り壊し、跡地の活用が具体化されており、急いで遠征の計画を立てる。現地までのナビはぶれいく58が担当し、現地でレンタカーを借りる異例の探索形態をとる。三度目の正直となった探索はついに成功し、念願の小曲園探索を達成する。合同探索とはいかなかったものの、探索の後には「廃墟に誘われて」を運営していて小曲園の詳細レポートを公開しているウシロ氏が陣中見舞いに駆けつけてくれた。山梨県遠征は大成功を収め、自信をつけた二人は次の遠征を計画する。今度は関西の超有名物件「摩耶観光ホテル」。小曲園や白雲楼ホテルと並んで大規模、格式も高いこの物件も 、ぜひ探索を成功したい二人は綿密な計画を立てる。探索は困難を極めたがなんとか成功、この探索の後には関西廃墟界の第一人者である吹雪大樹氏(「RUIN JAPAN」を公開中)が陣中見舞いに駆けつけてくれた。地元の物件も着実に増えている。特にダイゾウ氏から紹介のあった「モテル北陸」は日本初のモー テルということが判明し、一気に注目を浴びる。この物件に刺激をうけた新潟県在住のokazi氏(「廃墟標本5.6」を運営中)がこの物件を目指して西進し、合同探索が実現した。これ以降は一度だけダイゾウ氏と地元物件の合同探索を実行しただけで特に目立った探索活動はしていない。ただし旅先で 見つけた物件については潜入できなくとも写真だけは撮り、公開に備えている。

今後の行方は?
 予告物件の公開も含め、公開は滞っており、事実上の飽和状態となっている。後発の廃墟サイトが 次々と公開され、メジャー化されていくにつれて、以前は老舗廃墟サイトとして重用されてきた「廃屋にっぽん周遊」もすっかり無名の過疎サイトと化してしまった。アクセス数を競っていたのも 遠い過去の出来事に感じる。しかしぶれいく58は公開を継続すると宣言している。肥大化した予告物件については、とりあえず写真だけでも先行公開し、コメントについては写真の内容が充実して から、という姿勢に方向転換していくことになりそうだ。また時間の許す限り、石川県を訪問する 廃墟探索者との合同探索も続けてゆく予定である。

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