白雲楼ホテル最新情報2007

2006年5月から取り壊しが始まって7月に工事を終えた旧白雲楼ホテル跡地の最新情報です。
取り壊しからほぼ1年が経った2007年6月現在の最新情報をお届けします。

【解体情報】昨年2006年6月11日のレポートを見たい方はこちら
案内看板に変化!?
 湯湧温泉の観光案内看板が新しくなりました。この看板は現在の温泉通りと白雲楼ホテル、江戸村、高尾山に向かう道との分岐点に設置されており、これまでの看板には白雲楼ホテルの表示がありましたが新しくなった看板にはホテルの名前はもちろん、跡地の表示すらありませんでした。このことから、ホテル跡地の再利用については何も決まっていないことがわかります。大丈夫なのでしょうか、金沢市・・・(^^;
 なお、数年前までは路線バスが折り返すためにホテルの正面広場までバスが登ってゆき、広場には(ほとんど無意味ですが)営業時のままバス停が設けてありましたが、現在は分岐点近くの駐車場のスペースを使って周回ができるようになったので、正面広場のバス停は廃止され、白雲楼ホテル跡地にバスが来ることはなくなりました。
新しくなった案内看板。現在地から右に伸びる細い道が白雲楼ホテルに至る急な登り道。
新館跡地の様子
 新館があった通用口まで登ると、驚くべきことに未だ工事が続けられていました。工事の内容が記された看板を読んでみると、現在進められている工事は元々ホテルの建物があった傾斜地が、建物が無くなったことで土砂崩れの危険が出てきたため、それを防止するためのものとわかりました。跡地の再利用については特に記載はありませんでした。やはりこのまま更地のまま埋没してゆくのでしょうか?
新館が見えた出入り口付近。取材は平日だったため、工事の真っ最中でした。迷惑にならないよう離れて撮影。
本館跡地の様子
 本館、貴賓館があった正面広場まで登ると、ここでも工事が行われていました。昨年発見した貴賓館の屋根部分はそのまま置いたままになっていましたが、悪戯を防ぐためらしい囲いが新設してありました。プールにはダムのような盛り土によって半分に分割され、半分には水が貯めてありました。
本館があった正面広場の様子。右に囲いがしてある貴賓館の屋根が見えます。
プールは真ん中から盛り土で分割されていました。手前側にのみ水が溜まっています。
付帯設備の最新情報
 ホテル本体のほかに、多数の付帯設備を持つ白雲楼ホテルですが、正面広場からさらに旧江戸村に至る道を登ると、かつての用途が不明だった小屋が見えてきます。他の小屋たちが取り壊された中、唯一残された建物ですが、積雪の影響か、屋根部分から崩壊しており、現在は使用されず放置されたものと思われます。
 さらに道を登ると、旧江戸村の正面広場および高尾山の登山口につながりますが、その少し手前には謎の建物が現在も残されています。春季から夏季、秋季までは道が草に覆われて到達は困難になりますが、その入り口にさらに謎を呼ぶ真新しい看板が立てられていました。ネットで検索してもその意味がわかりません・・・。知っている方、掲示板までぜひ情報をお願いします!
正面広場から少し進んだ場所にある小屋。屋根部分が崩壊しており、放置状態です。
今年になって発見した謎の看板。矢印の方向は草が茂っていて進むことは困難です。
矢印の方向には用途不明の建物が残っていますが、この季節では近づくことすら困難です。
旧江戸村について
 白雲楼ホテルは姿を消しましたが、旧江戸村については市が復活を予定しており、現在も少しずつながら移転の工事が進められています。跡地は立ち入り禁止で、調査時も工事中のため潜入は不可能でした。手前にあった通用門は使用されずに朽ちるにまかせています。2000年に調査した内容は別途公開の予定です。
途中にある旧江戸村の通用門ですが、まったく使われていないため、草に埋もれようとしていました。

さいごに

 建物本体が解体されて1年以上が過ぎました。新しい案内看板にもホテルの記載が消えました。あの栄華を誇った豪華ホテルも、次第に金沢市民の記憶から消えてゆくでしょう。しかし廃墟ファンにとってはずっと記憶に残る建物になることは間違いありません。廃屋にっぽん周遊では白雲楼ホテルの写真をネット上でいつまでも残し、伝説となった廃墟を語り継いでゆこうと思います。
昨年の解体時のレポートはこちら→
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